岩木山と八甲田と津軽から見えるもの(3)

前回からの続いております〜


前回までは

岩木山北方界隈の地名名称が八甲田連峰南方界隈の地名名称と似通っており
色々な検討から
八甲田南方界隈は岩木山に北方界隈に習って作られたのでは?
的な予想が立つ一方
そもそも岩木山と十和田湖も形が似ていて向かい合わせで
そもそも陰陽の形式っぽいのでは?

といった具合でしたけども
こうやって要点を掻い摘んで振り返ってみますと
岩木山と八甲田での似通り名称は北と南でのシンメトリー的配置っぽくあり
こういう言い方をしてみますと
なんといいますか〜
何かに似ていませんか〜?
そう!←(笑)
中野神社ですね〜
という事で中野神社的な見方でもう少し進めてみますと〜

岩木山と十和田湖の関係は
岩木山 → “岩” 有り → “戸” 的なものが有る → 陰的な配置
十和田湖 → “岩” 無し → “戸” 的なものが無い → 陽的な配置


とも見れると言えますけども
前回は中国の古くからある思想の五行に照らして反対の事をいいましたが
“陰” か “陽” かとは、
両極の端に “陰” と “陽” を置く “性質の同じカテゴリー” といいますか
例えていうなら
“シーソー” の両極に陰と陽がある状態といいますか
シーソーはどちらかに比重を傾ければその反対側が跳ね上がり均衡は取れナイ
急に跳ね上がったりすれば危ないですしねぇ
つまり場合によっては
同じ性質中の状態が反対の状態にもなる
といいますか

例えばコレ ↑ の逆説的な見方から説明するとしますと
“許せない何かとか” があるとして
ソレを同じ性質上のカテゴリーから外してしまう状態を作れば
つまり “何かが大嫌いとか” みたいな極端な状態にせずに
“許せない・認める” とか “嫌い・好き” みたいなカテゴリー枠から外してしまえば
そもそもそのカテゴリーに
少なくともカテゴリー外しをしたその人にとっては
ソレは初めから何も無かったというコトが言えるようになる
といいますか

元に戻すと、
岩木山と十和田湖は有史以前から有って陰にも陽にもなるというカンジのコトを
なんとなーく雰囲気を感じ取って頂ければと

それで
『岩木山と八甲田と津軽から見えるもの(1)◁』
で途中にしてあった黒石市は黒石藩の中野神社の話をしますと

弘前藩と黒石藩は岩木山と八甲田の間にありまして
“黒石” の名前由来はハッキリしていないのですが昔々から有り
“藩” としては幕府の命によって開設された藩だったのですが
黒石藩初代藩主 津軽信英(=弘前藩三代藩主 津軽信義の弟)は当初
“黒石” ではなく “賀田” “猿賀” “青森” 等を希望したそうで
しかし時の幕府は “黒石” としたらしく、、、、

※ちょっと解説を加えますと

弘前藩三代藩主 津軽信義 → 石田三成の娘の息子(=石田三成の孫)
津軽信義の弟 津軽信英 → 徳川家康の養女の息子(=形式的に徳川家康の孫)

なので、
徳川幕府は信英の希望を聞きそうではないですか
もしも石田三成の曾孫の信政に睨みを利かすみたいな目的なら尚更
実際に石高としてはそれなりにもらっていましたが
しかし土地は “黒石” になった
しかも黒石藩が創設されたのがアノ弘前藩の四代藩主 津軽信政のおり
ここで更に付け加えたいのが、
信英も信政も 山鹿素行 に師事していた
という事
この山鹿素行という方がですね
日本に天皇がいる事の重要性自然の一定法則に関する教育をしておりまして
時の幕府もこういう観点で信政の時代に国造りをしていたかもしれなくてですね
難しい事は置いておくとしましても
ですので、
岩木山と八甲田若しくは十和田湖の間に弘前藩と黒石藩を置いた
つまり、
岩木山と八甲田or十和田湖で陰陽的な事を知っていたから
弘前藩と黒石藩で陰陽的な配置を作った
加えて、
岩木山と八甲田or十和田湖の間だから “中野神社” なのかなーと

では、
陰陽的配置がとられていると何なのか
山鹿素行は
皇が治める日本の自然の法則について考えを深めておりました
そこから予想するに、
日本はそもそも
陰は陽に、陽は陰に自然に循環するようになっていたのかもしれません

逆にいうと、
岩木山と八甲田or十和田湖みたいな場所は
陰と陽が揃ってある状態なので
何かあれば、
何かそれ自体を顕著に反転させる作用が働く

といえるかと
例えば、、、、

蝦夷等の歴史の闇に葬られた真実を覆い隠そう的な
まぁとにかく “悪しき画策” ですね
そういったものは幾ら画策しても
そもそもこの地・津軽には陰陽が施されているので
それら画策は画策した張本人に残らず全て
そのままの悪しき形で返される


、、、、みたいな?
ま、この世の法則とか教訓としてもありますよね
蒔いた種は自分で刈り取らなければならないとか
振り子は振り幅と同じ分反対側にも振る的な
なんといいますか〜
一昔前、
一斉を風靡した『デスノート』
当ブログオーナーはアレの 松山ケンイチ 氏が出演した映画版が特に好きでして
ザッと内容をご紹介致しますと、
偏った考えの元に死神のノートを使い人殺しを重ねる主人公 ライト に対して
もう一人の本作の主人公 地球上で最も頭脳明晰な探偵 L が
頭脳戦で戦っていく的な物語で
その映画の、だったか?とにかくLのスピンオフ小説が当時出ており
確かその小説の中でLがこんな事を言うのです

「正義は何よりも優しいのです」

この物語の結末をご存知の方はご存知と思いますけども
当ブログでは物語等々のネタバレ回避をモットーにしておりますので
この辺にしておこうと思いますが

何よりも優しい気持ちのこもった正義は必ず最後に勝つ

と、当ブログオーナーは思っているといいますか
岩木山と八甲田or十和田湖の陰陽の “悪しき” ではない方の例えといいますか
いわゆる『記紀』などからしますと『デスノート』は現代の話ですので
当ブログのこのシリーズからいうと突然何だ的な風に取られるかもですけども
いや、
『デスノート』はいろんな隠喩があったりといいますかなかったりといいますか
とにかく当ブログオーナー的には
上記のセリフがの発言となっているので
腑に落ちているといいますかそう信じられるといいますかですね
そういえば、
旧約聖書の最高神はヤハウェとかヤーウェとかヤーとかいいますね
ヤーって、、、、
ヤー → 8?(=八)

といったことろで、
話がアッチコッチしましたけれども
とにもかくにも、
岩木山の神さまはスゴイっぽいぞという事で
今回はまとめて締めくくりたいと思います〜



読んで下さった方に感謝を込めて。


御鼻部山からの岩木山 ↑

余談なのですけども、
岩木山と八甲田or十和田湖が向かい合っているのを知った時に
当ブログオーナーがもう一つ浮かんだ事がありまして
それは
まるで日本の童謡 『かごめかごめ』のようだと
『かごめかごめ』の歌詞の最後に

うしろ(後ろ)のしょうめん(正面) だぁれ?(誰)

とあるじゃないですか
後ろも正面も八みたいな
しかし一説には、
『かごめかごめ』は降霊術がわらべ歌になったもの的な考えもされていたりしまして
上記最後の一小節で降霊するみたいな
でも例えばその考えを推し進めるなら
岩木山と八甲田or十和田湖で津軽には八が降りている
と、なりますね!

ll▷続き・当連投記事一覧はコチラから ↓ 

岩木山と八甲田と津軽

岩木山と八甲田と津軽の一覧。追記有/東北探訪!十和田神社で比較考量色々 - 突然ではありますけど、『青の祓魔師(エクソシスト)』の17・18巻に掲載されているシュラの過去に纏わる “青森・永久蛇湖編” が去年大晦日に発売されました18巻にて大団円を迎えましてこの舞台は恐らく、実際の青森県の十和田湖だと思うのですけども(以前、作者様の加藤さんがされていたツイートからそう思いました)それでこの永蛇湖編がですね、いーかーに!丁寧に描いて下さっていたコトかっ!という事で、当ブログ的に加藤さんに感謝しつつお疲れ様でしたの気持ちも込めつつ今度加藤さんがおいでになられた際には是非 “ヒメマスの塩焼き” を食して頂くべく青の祓魔師/青森・永久蛇編の舞台となったと思われる十和田湖神社の、当ブログでは夏景色を見てみたいと思います〜冬の十和田神社過去記事はコチラ ↓ ・・・・と、言いたいところではあるのですけども記事を作成したと思うのですけど影も形も見当たりませんアレ?2012年の年頭辺りに絶対に紹介済みでしたよね?当ブログでは記事を勝手に改ざんされたりはしていたのですけどもいよいよ記事の消去までされ始めたようですよそもそも不正アクセスの時点で不法行為ですから絶対に許すまじ!とにもかくにも、例によって当ブログのテキトー地図では十和田神社はだいたいこの辺 ↓

おもちゃ箱な平生草子oct


ご意見・ご指摘・ご感想・お問い合わせが御座いましたらコチラのメールフォームをご利用下さい。