東北探訪!弘前ねぷたまつり 5日目合同運行 in 2016(4)

2016年の弘前ねぷたをご紹介している続きです。


前回の最後にねぷたまつりにおけるねぷたの種類のお話がでましたけども
中でも、
とにかく判りやすい種類がコチラ ↓


・西地区ねぷた親交会
水滸伝 豪傑百八人より、猛者一堂に会する
/ 小山内盛暢、長内雲元

(組ねぷたタイトル/絵師)

コチラが “大型 組ねぷた” といいまして
弘前八幡宮の祭礼に神輿の露払いとして各町に繰り出される
京都や江戸文化の影響を受けた人形中心の高欄付き山車が元となり(1682〜1883年頃)
1804〜1830年頃に人形燈籠として登場したのが始まりとされ、、、、
当ブログオーナーの極個人的見解として
青森ねぶたの原型的な、元ネタは弘前の組ねぷただったのではないだろうか
と、考えているのですけども
それはさておきまして、
↑ の写真では大きさは判りにくいのですが
幅 6.5メートルで
高さが、、、、
この様に入雲龍がせり上がって9メートル
あ、 ↑ の位置だと花和尚が怖いカンジですね←(笑)
九天玄女
(見送り絵タイトル)

というコトで、
前回の弘前市役所たか丸くん和徳町わっとくん
向外瀬津軽為信などの “前ねぷた”
“小型の組ねぷた” だったという感じになります
前ねぷたといえば、
その前ねぷたの組ねぷたを上記の団体より本格的にやってらしたのが
実は前回登場の城南ねぷた愛好会
水滸伝 入雲龍
見送り絵のタイトルは出ていなかったのですけども
入雲龍を平面で描いてらっしゃるのでしょうか

つまり城南は、
“大型 組ねぷた” “大型 扇ねぷた” で出陣されていた
という感じで、、、、
財力があるなぁとかちょっと思ったといいますか←(笑)


さて、
前回までの全3回でご紹介してきたのがほぼ “大型 扇ねぷた” でしたが

“扇ねぷた” が歴史的に登場するのは
実は “組ねぷた” の後!だったりしまして明治以降!でして

この頃に現在の扇ねぷたの下の部分といいますか
逆さ台形みたいな= “開き” の部分が開発され
津軽藩初代藩主 津軽為信の幼名 “扇丸” から

“額” + “開き” + “扇” → 新しく “扇ねぷた” が登場

※ “額” は、逆さ台形= “開き” の更に下部

組ねぷたと比べると初登場当時には斬新で
更に明治維新の混乱期に乗じ、
経費と手間のかかる組ねぷたよりも扇ねぷたが主役の座に登りつめていって
現在の弘前ねぷたに繋がるそうです
ついでなので、
ねぷたが初めて記録に登場するのは1722年の弘前藩庁『御国日記』
1788年には角燈籠に飾りをつけた『子(ね)ムタ祭之図』が描かれていて
“七夕祭” “織姫祭” “二星祭” なども文字が記されていたとか
昔は旧暦の七夕時期に運行されていたのかも?
そして実は、今に伝わっていない七夕に関した由来があるのかもですねー
ま、
それはさておき、
“大型扇ねぷた” “小型扇ねぷた” につきましては
当ブログオーナーは大型でも小型でも大きさを揃えて写真に撮ってしまうので
写真的には変わり映え致しませんが
2016年に出陣した全ねぷたで調べたところ

・大型
高さ → 4.85 〜 9.10メートル
幅 → 4.20 〜 7.61メートル

・小型
高さ → 3.05 〜 4.85メートル
幅 → 2.60 〜 4.48メートル

という具合に違いがございました

では、
小型扇ねぷたから幾つか ↓


・ねぷた一新会
三国志 祝融夫人奮戦の図 / 一戸紫峯
(鏡絵タイトル/絵師)
孟獲
(見送り絵タイトル)

鏡絵が女性の題材なので見送り絵に男性という珍しいパターン


・昭和町ねぷた愛好会
天異星赤髪鬼劉唐奮戦之図 / 笹原雲峡
唐美人


お次は伝統的なねぷたをご紹介しておきます ↓


・ねぷた集団「がほんず」
日本三大盗賊 女児雷也 鬼人のお松 / 棟方華澄

今までご紹介のねぷたに比べて、
全体的にちょっと照明が暗い印象がございますが
実は “蝋燭の火を照明” に使っているねぷたでして

元々ねぷたの照明は蝋燭だったそうなのですけれども
1950年代には蝋燭から電気に移行したそうなので、、、、

蝋燭ねぷたは大変貴重ですよね!
十和田伝説 鬼人のお松


更にお次はもっと貴重な、、、、↓


・城北ねぷた同好会
一丈青と呼延灼決戦之図 / 後藤信昭

↑ と今までのねぷた写真を見比べて頂きますと、、、、
今までご紹介のねぷたは “ねぷたを押して” ますが
コチラは “押す” 部分がございません
実は実は、
“担ぎねぷた” (大型)でして
更に、
“蝋燭ねぷた” なのです!
九天玄女

ちょうど肩に担いでらっしゃる写真がないのが口惜しいですが
昔は担いでねぷたを運行していたそうで
大きいものだと数十人の担ぎ手が必要だったとか


・幻満舎
国志 許楮と馬超 血戦之図 / 赤平優

コチラ ↑ も “担ぎ”(小型) + “蝋燭” ねぷた
三国志 孫翊妻 徐氏


といった辺りで、
語り尽しました感が出てきましたので
2016年の弘前ねぷたご紹介シリーズの終了したいと思います。


読んで下さった方に感謝を込めて。


合同運行の最終がコチラ ↑
皆さま、お疲れさまでした!





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