飛んだり切ったり抜けたり。

当ブログでは先日、
皇居乾通りの一般公開に行かせて頂いた
という記事を書かせて頂きましたが ↓

『春色を探して皇居乾通り!』


2015年の秋季に訪問させて頂いた記事がコチラ ↓
『ひと狩りしようぜ!2015@皇居乾通り!』

実はこの後に、
更に行かせて頂きました場所がありました。
それがコチラ ↓

ジャジャーーーン‼︎

え?
何が “ジャジャーーーン” なのかって?

ご存知ない方はないかもなのですが、
コチラは 平将門 様の首塚とされている場所で
東京都の文化財指定もされているのです〜。
いや実は実は、
去年秋の皇居乾通りの後に神田明神に参拝させて頂いていたのですけども
やはり、
神田明神創建の地とされるコチラも参拝したいなーと思ってて
皇居の程近くに御座いますので
この春にようやく行かせて頂いたという。


※ご存知ない方のために 平将門 とは
神田明神の御祭神で (神田明神は江戸総鎮守)
平安時代中期に関東に登場した…
“武士” の起こりの頃の方といいますか
まぁ諸説あるのですが
やはり
乱れきっていた平安中期の関東に一定の秩序をもたらした方かなと

↓ 敷地内案内看板より


色々なおウワサのある首塚跡がコチラ ↓
注) ちゃんとご挨拶をしてから撮影させて頂きましたよ

亡くなられた後に京都に送られた首が
関東に飛んできてしまうくらい
関東を思ってらしたのだろうな
とか思うワケですよ。

だから単純に江戸の総鎮守をされておられるのでしょう。


更に更に
去年の秋に神田明神の後に参拝させて頂いた場所がありまして
そのお話もさせて頂きますと、、、、
それがコチラ ↓
千駄ヶ谷の聖輪寺
ご本尊の如意輪観世音菩薩様像はコチラ ↑ にいらっしゃられるご様子です
では皆さまご一緒に

「観音様、ごきげんよう!」

いや、←(笑)
いつぞやの白だの黒だのの連載記事の時のように
観音経を唱えて頂いても良いのですけども〜
昔々・・・・
このお寺の門が朱塗りであったことから
赤門の寺で、観音を赤観音と呼ぶようになったとか
また、
この観音様の双眼が黄金だったともされ
それを鑿で切り取ろうとした盗賊がその所持していた鑿で死んだとか
色々なおウワサのある観音様ですけども
この聖輪寺は御府内八十八箇所の第十番ともされ
昔々から参拝される方も多かったらしく

※府内八十八箇所とは
お遍路さんで有名な “四国八十八箇所”の “写し” の霊場
十番は得度山の切幡寺


なのですけども、
この四国の切幡寺の境内にははたきり観音という観音様がおられるのですけども
この観音様がですね、
弘法大師が貧しい機織の娘に布を乞うと
織りかけの布を惜しげもなく切り取って差し出してくれたので
お礼に千手観音を彫ってあげたところ即身成仏したという伝説のある観音菩薩様
だそうなのですけども
とにかく観音像のお姿が
左手には “布” を持ち、右手には “ハサミ” を持つお姿をされているのですね

※瀬織津姫は七夕の織姫星ともいわれているとか

当ブログ的には気になるところも色々ありますが・・・・
★追記しました★
コチラの観音様は水浴びもされます
境内案内版より ↓
ひとまず、
ハサミをお持ちの観音様という事で縁切りにご利益がある
という事があるらしく。
縁切りを見守って下さるという見守りお不動様 ↑


更に更に更に、
本日はなんだかんだですので
もう少し。


実は実は実は、
この聖輪寺の後に行かせて頂いていた場所が御座いまして〜
それは新宿の “抜弁天さま”
神社の公的な由来的には

源義家が後三年の役の時に戦勝祈願して勝利したので
戦勝御礼の為に建設したのが始まり

と、
されておりますが
ワタクシメが東京地方の色々な神社に行ってみて思った事には、、、、
アクマでもワタクシメ的にですよ?
要するに、
津軽地方の主要神社建設説 → 坂之上田村麻呂
みたいな感じで
関東の特に八幡神社系建設説 → 源氏
といったカンジで
時の権力者にいいように一緒くたな感じにされた感じなのかな
と思っているのですけども
まぁそれは置いておくとして

この抜弁天様は参道を
南から北に抜けるようにお参りすると苦難を切り抜けられる
そうですので・・・
はい!南側の抜弁天様入口です!
抜弁天さまです!
参道を北へ抜けた所です!



読んで下さった方に感謝を込めて。


抜弁天さまの手水場の龍神さま
余談ですが、
それにしたって怨霊系の神さまは
飛ばれることが多いですよね。



最後に熊本の皆さまが
1日も早く日常を取り戻されますように
お祈り致します。



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