絶賛今更ながら感満点で
前回から初詣記事を始めましたが
前回の久渡寺は
当ブログオーナー心の師の円山応挙の絵画を所有していたり
当ブログ過去記事の岩木山の神さまシリーズに登場した
赤倉の民間巫女のような信仰・オシラ講があったり
津軽三十三観音の一番札所であったりしましたが
本日はその続きも続き、、、
津軽三十三観音二番札所・多賀神社を攻めてみるコトに致します!
というワケで引き続きコチラ ↓
前回久渡寺は弘前から真南でしたが
本日の多賀神社は岩木山の真南といった感じでしょうか
しかしどちらも白神山地の入り口辺りといった感じですね。
そんな多賀神社は別名を目屋の清水観音といいまして
津軽一代様の子のご担当寺社/守り本尊は千手観音菩薩
なのです〜
“津軽一代様” とは、、、
当ブログ年初めの初詣記事に度々登場するワードでございまして
弘前、もとい津軽地方では
年始に自分の生まれ年の干支の守り本尊が祀られる寺社に参拝する独特の風習
が御座いまして
津軽一代様について詳しく→ ▷津軽一代様について◁
今年は申年なのですけれども
津軽一代様で申ご担当寺社は大鰐の大日様で
じ、実は、
去年書いてしまってまして
今年もまた、とかいうのも何なので
今まで当ブログでご紹介したコトのない寺社をと考えましたらば
たまたま津軽三十三観音の二番札所でもあったという。
本日の多賀神社は岩木山の真南といった感じでしょうか
しかしどちらも白神山地の入り口辺りといった感じですね。
そんな多賀神社は別名を目屋の清水観音といいまして
津軽一代様の子のご担当寺社/守り本尊は千手観音菩薩
なのです〜
“津軽一代様” とは、、、
当ブログ年初めの初詣記事に度々登場するワードでございまして
弘前、もとい津軽地方では
年始に自分の生まれ年の干支の守り本尊が祀られる寺社に参拝する独特の風習
が御座いまして
津軽一代様について詳しく→ ▷津軽一代様について◁
今年は申年なのですけれども
津軽一代様で申ご担当寺社は大鰐の大日様で
じ、実は、
去年書いてしまってまして
今年もまた、とかいうのも何なので
今まで当ブログでご紹介したコトのない寺社をと考えましたらば
たまたま津軽三十三観音の二番札所でもあったという。
そんなこんなで多賀神社一の鳥居前!
二の鳥居も見えます。
この先を道なりに右折しますと・・・
二の鳥居も見えます。
この先を道なりに右折しますと・・・
このような参道が続きます。
参道左側に小川が流れております。
この先に御座いましたのが・・・
参道左側に小川が流れております。
この先に御座いましたのが・・・
向かって右側が見切れてしまっておりますが一対のお馬さまです。
津軽地方の神社は狛犬の配置位置的な場所に
お馬さまがいらっしゃる事が多いように思います。
この多賀神社は一代様でいうと “子” ですのにお馬さまです。
想像ですけども〜…
昔むかしには
そういった霊場的な場所でオシラサマがされていたのかも?
津軽地方の神社は狛犬の配置位置的な場所に
お馬さまがいらっしゃる事が多いように思います。
この多賀神社は一代様でいうと “子” ですのにお馬さまです。
想像ですけども〜…
昔むかしには
そういった霊場的な場所でオシラサマがされていたのかも?
とにもかくにも、
そんなお馬さまの先の参道階段が結構急なのですけども
この先にも何かありそうで・・・
そんなお馬さまの先の参道階段が結構急なのですけども
この先にも何かありそうで・・・
登りきったコチラは狛犬さまでした。
この狛犬さまは1664年に奉納されたらしいのですが
熊野奥照神社・弘前八幡宮に奉納された狛犬と
年代・石質・大きさ・形状が同質で同一工房で作られたと考えられているため
上記二社の同狛犬と共に弘前市指定の有形文化財になっておられるそうなのです。
因みに、
石材は福井の笏谷石であるそうでして
日本海航路で運ばれた石ではないかと推測されているそうです。
この狛犬さまは1664年に奉納されたらしいのですが
熊野奥照神社・弘前八幡宮に奉納された狛犬と
年代・石質・大きさ・形状が同質で同一工房で作られたと考えられているため
上記二社の同狛犬と共に弘前市指定の有形文化財になっておられるそうなのです。
因みに、
石材は福井の笏谷石であるそうでして
日本海航路で運ばれた石ではないかと推測されているそうです。
そんな狛犬さまを更に遠くから。
え?
遠くからとかいいからその狛犬さまの接写写真はどうしたって?
いやー…
当ブログオーナー的にはー…
何といいますかー…
あんまりピンとこなかったのかー…?
写真を撮ってなかったのです(汗)
狛犬さまの説明看板は撮ってあったのに←(笑)
いや、
世の中不思議なコトってあるものですよ←(笑)
とにかくココまで登ると見えて参りますのがコチラ ↓
え?
遠くからとかいいからその狛犬さまの接写写真はどうしたって?
いやー…
当ブログオーナー的にはー…
何といいますかー…
あんまりピンとこなかったのかー…?
写真を撮ってなかったのです(汗)
狛犬さまの説明看板は撮ってあったのに←(笑)
いや、
世の中不思議なコトってあるものですよ←(笑)
とにかくココまで登ると見えて参りますのがコチラ ↓
おおっと。
ちょっと近寄り過ぎましたね。
ちょっと近寄り過ぎましたね。
改めまして、
コチラが多賀神社・目屋の清水観音さま
では皆さまご一緒に。
せっそんみょうそうぐー
がっこんじゅうもんひー・・・
※前回の観音経の続きです
と、言いたいのはヤマヤマなのですが!
なんと!
コチラには!
その!
観音さまがいらっしゃいません!
津軽一代様とか津軽三十三観音とかどうなってんだよっ!
と、
ツッコミたくもなりますが←(笑)
何でも、
弘前藩四代藩主が弘前市茂森町へ移されたそうで。
なのですが、
そもそもこの地域が大高森山といいまして
ここの岩屋に千手観音が安置されて
牡丹のような白い花が咲いたとか
清水が湧き出でたとかで
とにかくこの地が千手観音像で霊場として有名になった?
また、
四代藩主はその後この地に京都の清水の舞台を模して高楼を建立して
観音さまの名前が残り霊場として機能していた感じでしょうか。
その千手観音菩薩さまは現在、
弘前市内の禅林街の陽光院というお寺さんに安置されているそうです。
※禅林街とは
弘前の裏鬼門に当たる場所に位置する三十三ヶの禅宗の寺が連なる街
この辺りもその内ご紹介することと致しましょう
ま、
気持ちが大切ってコトですよ。←(笑)←いやホントに
多賀神社の神さま、
参拝させて頂きましてありがとう御座います!
コチラが多賀神社・目屋の清水観音さま
では皆さまご一緒に。
せっそんみょうそうぐー
がっこんじゅうもんひー・・・
※前回の観音経の続きです
と、言いたいのはヤマヤマなのですが!
なんと!
コチラには!
その!
観音さまがいらっしゃいません!
津軽一代様とか津軽三十三観音とかどうなってんだよっ!
と、
ツッコミたくもなりますが←(笑)
何でも、
弘前藩四代藩主が弘前市茂森町へ移されたそうで。
なのですが、
そもそもこの地域が大高森山といいまして
ここの岩屋に千手観音が安置されて
牡丹のような白い花が咲いたとか
清水が湧き出でたとかで
とにかくこの地が千手観音像で霊場として有名になった?
また、
四代藩主はその後この地に京都の清水の舞台を模して高楼を建立して
観音さまの名前が残り霊場として機能していた感じでしょうか。
その千手観音菩薩さまは現在、
弘前市内の禅林街の陽光院というお寺さんに安置されているそうです。
※禅林街とは
弘前の裏鬼門に当たる場所に位置する三十三ヶの禅宗の寺が連なる街
この辺りもその内ご紹介することと致しましょう
ま、
気持ちが大切ってコトですよ。←(笑)←いやホントに
多賀神社の神さま、
参拝させて頂きましてありがとう御座います!
そんな拝殿?本殿?の裏の位置にあるのがコチラ ↑
拝殿?の裏ですよ!
実は元々龍神さま系の霊場だったとか?
実は・・・
この神社の由来に
またまた、
津軽一円の神社建立説に登場する坂上田村麻呂の名前が出ているのですが
やはり当時ですよ当時、
坂上田村麻呂が津軽の主要神社という神社の全部を建立したなんて
ナンセンスだと思うわけですよ。
単に当時の権力者が津軽の主要霊場を抑えて権威を表したかった
ようにも見える気がしてまして
それから、
実はワタクシメ的には
上記の千手観音を置いたから云々かんぬんも
当時、仏教を広めたかった者が
この霊場を利用したのかな的にも考えられるかと思ったり。
いや、
いつの時代でも肩書き云々なんて金銭やら権力やらで
幾らでも真実を覆い隠すコトが出来たのだろうなと思うといいますか。
例えば、
そういうコトがまだ江戸時代には辿るスベがあって
だから、
四代藩主津軽信政公は千手観音菩薩をお寺さんに移した
とか?
何故かといえば、
例えば江戸幕府がちゃんと日本を治めようとしてたから
とか?
ま、
今となっては何が本当の事かなんて言い切る方が不自然さを感じますが。
拝殿?の裏ですよ!
実は元々龍神さま系の霊場だったとか?
実は・・・
この神社の由来に
またまた、
津軽一円の神社建立説に登場する坂上田村麻呂の名前が出ているのですが
やはり当時ですよ当時、
坂上田村麻呂が津軽の主要神社という神社の全部を建立したなんて
ナンセンスだと思うわけですよ。
単に当時の権力者が津軽の主要霊場を抑えて権威を表したかった
ようにも見える気がしてまして
それから、
実はワタクシメ的には
上記の千手観音を置いたから云々かんぬんも
当時、仏教を広めたかった者が
この霊場を利用したのかな的にも考えられるかと思ったり。
いや、
いつの時代でも肩書き云々なんて金銭やら権力やらで
幾らでも真実を覆い隠すコトが出来たのだろうなと思うといいますか。
例えば、
そういうコトがまだ江戸時代には辿るスベがあって
だから、
四代藩主津軽信政公は千手観音菩薩をお寺さんに移した
とか?
何故かといえば、
例えば江戸幕府がちゃんと日本を治めようとしてたから
とか?
ま、
今となっては何が本当の事かなんて言い切る方が不自然さを感じますが。
まぁともかく、
この水は青森県指定の「私たちの名水」に選ばれております。
ありがたく頂いてみましたら、
雪解け水のお味が致しました〜
あ、
なんといいますかですね、
雪国の方なら子供の頃に少なからず雪が口に入る体験をされてるかと思いまして
おわかり頂けるかと思うのですけども〜
そうですね〜
市販されている天然水の味とは全然違うという感じかな。
機会が御座いましたら皆さまも是非お試し下さいませ。
では今回はこの辺で。
初詣企画はまだ続きます〜。
読んで下さった方に感謝を込めて。
この水は青森県指定の「私たちの名水」に選ばれております。
ありがたく頂いてみましたら、
雪解け水のお味が致しました〜
あ、
なんといいますかですね、
雪国の方なら子供の頃に少なからず雪が口に入る体験をされてるかと思いまして
おわかり頂けるかと思うのですけども〜
そうですね〜
市販されている天然水の味とは全然違うという感じかな。
機会が御座いましたら皆さまも是非お試し下さいませ。
では今回はこの辺で。
初詣企画はまだ続きます〜。
読んで下さった方に感謝を込めて。
柿の木が良い感じでした。
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