今日は~…
当ブログで兼ねてよりシリーズもので書かせて頂いております
津軽・岩木山における鬼伝説の続きで大石神社というか赤倉に迫ります。
※津軽→つがる
※岩木山→いわきさん
※大石神社→おおいしじんじゃ
※赤倉→あかくら
★前回までの記事がコチラ↓
『東北探訪!鬼伝説にせまれ~鬼神社編』
『東北探訪! 鬼伝説にせまれ~巌鬼山神社編』
※鬼神社→おにじんじゃ
※巌鬼山→がんきさん
とりあえず今回もコチラから。
当ブログで兼ねてよりシリーズもので書かせて頂いております
津軽・岩木山における鬼伝説の続きで大石神社というか赤倉に迫ります。
※津軽→つがる
※岩木山→いわきさん
※大石神社→おおいしじんじゃ
※赤倉→あかくら
★前回までの記事がコチラ↓
『東北探訪!鬼伝説にせまれ~鬼神社編』
『東北探訪! 鬼伝説にせまれ~巌鬼山神社編』
※鬼神社→おにじんじゃ
※巌鬼山→がんきさん
とりあえず今回もコチラから。
ハイ、毎度お馴染み手前味噌テキトー地図。
図中の岩木山の絵の向かって右側が巌鬼山になりまして
岩木山山頂への山登りに於いて
巌鬼山側からアタックする際の“赤倉尾根コース”の入り口が大石神社みたいな感じなので
結構、山の中になります。
こんな感じ↓
図中の岩木山の絵の向かって右側が巌鬼山になりまして
岩木山山頂への山登りに於いて
巌鬼山側からアタックする際の“赤倉尾根コース”の入り口が大石神社みたいな感じなので
結構、山の中になります。
こんな感じ↓
鳥居から振り返ると津軽平野が見渡せます。
という訳で一の鳥居。
という訳で一の鳥居。
初詣の時はガッツリ雪に埋れて通れなかった…
鳥居もこの通り!
いや!
夏ってスバラシイっ!←(笑)
どんどん先へ進みましょう~。
ハイ!拝殿前!
あ…。
コチラの拝殿は冬だからってシャッターが閉まってる訳ではないのね。
夏でもガッツリ閉まってるのね~~~っ!!
でもコレ、なんか…
表向きの部分はどーでもいいんっスよ…
みたいな感じがするのは私だけ?(汗)
とにもかくにも、
左上にたぶん光写真だと思うけど何か写ってるのはスルーして
本殿を見てみましょうか。
あ…。
コチラの拝殿は冬だからってシャッターが閉まってる訳ではないのね。
夏でもガッツリ閉まってるのね~~~っ!!
でもコレ、なんか…
表向きの部分はどーでもいいんっスよ…
みたいな感じがするのは私だけ?(汗)
とにもかくにも、
左上にたぶん光写真だと思うけど何か写ってるのはスルーして
本殿を見てみましょうか。
そして本殿なのですが
とにかく初詣の時は雪に埋れてて何にも判らなかった本殿。
狛犬たちが新しいものだとか
左端にあるモノは一体何だ?!とかありますが!
問題はこの本殿だと思ったものの後ろですよ!
とにかく初詣の時は雪に埋れてて何にも判らなかった本殿。
狛犬たちが新しいものだとか
左端にあるモノは一体何だ?!とかありますが!
問題はこの本殿だと思ったものの後ろですよ!
はい、更に後ろ。
本殿と一般的に呼ばれるものの後ろに
小さな祠がひっそりとある
…なんて事は関東でもたまにみかけますが。
まぁ、実は違うものを祀っていたりするのかしら?くらいに思っていたのですけども
今までは。
そしたら…
その祠の更に更に後ろにご注目頂きたい。
岩っっっ!!
この写真だと分かり辛いかな~。
ではコチラ↓
本殿と一般的に呼ばれるものの後ろに
小さな祠がひっそりとある
…なんて事は関東でもたまにみかけますが。
まぁ、実は違うものを祀っていたりするのかしら?くらいに思っていたのですけども
今までは。
そしたら…
その祠の更に更に後ろにご注目頂きたい。
岩っっっ!!
この写真だと分かり辛いかな~。
ではコチラ↓
ホラっ!岩っっっ!!
明らかに周りの石の塀?とは違う岩。
コレを見て僭越ながら、
自身のこの記事↓を思い出しました。
『東北探訪!津軽平野神社紀行(3)』
『東北探訪!津軽平野神社紀行(3)…の追記』
それで思う事には…
あ、
あくまでも只のしがない絵描きの推論ですよ?
一応お断りをしておかないとね。
えと、
例えば元々…
“岩木山”は“巌鬼山”という文字を使って“いわきさん”と読んでいたのではないだろうか。
確か日本書紀…
すみません、今、パッと出てこないのですが←調べてもこのテイタラク
たぶん日本書紀に、
天皇が津軽の事を言及する場面があって…
「え~?
つがるぅ?
あの、鬼が総締めしてる処でしょ~?
ちょぉ~ウザイんですけどぉ?」
…みたいな感じで話してるんですよ。←(笑)
※上記のカギカッコ内は現代風にしてあります←(笑)
時は7世紀頃に
津軽も中央政権統治下に置かれます。
その時辺りに
中央政権に鬼の事がバレてはならなかったから
“巌鬼山”から“岩木山”になったとか…。
つまり、
津軽地方に見られる磐座信仰は岩木山信仰
になるとすれば、
“岩”を祀る事で“岩木山信仰”が表せられるなら
“岩”を祀る事は“巌鬼山信仰”を表す事にもなるといえるから
“岩”を祀る事は“鬼”を祀る事にもなっている
という考え方もできないだろうか
巌鬼山の入り口と言っても過言ではない赤倉の中に大石神社がある事。
そして
大石神社の後ろには岩があり
更に後ろには龍神が住まうという渓流があるという事。
岩木山の神さまシリーズでの…
山神様=鬼=龍
巌鬼山=鬼沢=赤倉
巌鬼山=赤倉山→赤倉大神・赤倉大権現
この辺りが頭をグルグルしてきます。
…ま、
当ブログオーナーの只の妄想ですよ。
ではここで、
本殿の更に更に更に後ろの…
初詣の時は全くよく判らなかった渓流も見てみましょう。
明らかに周りの石の塀?とは違う岩。
コレを見て僭越ながら、
自身のこの記事↓を思い出しました。
『東北探訪!津軽平野神社紀行(3)』
『東北探訪!津軽平野神社紀行(3)…の追記』
それで思う事には…
あ、
あくまでも只のしがない絵描きの推論ですよ?
一応お断りをしておかないとね。
えと、
例えば元々…
“岩木山”は“巌鬼山”という文字を使って“いわきさん”と読んでいたのではないだろうか。
確か日本書紀…
すみません、今、パッと出てこないのですが←調べてもこのテイタラク
たぶん日本書紀に、
天皇が津軽の事を言及する場面があって…
「え~?
つがるぅ?
あの、鬼が総締めしてる処でしょ~?
ちょぉ~ウザイんですけどぉ?」
…みたいな感じで話してるんですよ。←(笑)
※上記のカギカッコ内は現代風にしてあります←(笑)
時は7世紀頃に
津軽も中央政権統治下に置かれます。
その時辺りに
中央政権に鬼の事がバレてはならなかったから
“巌鬼山”から“岩木山”になったとか…。
つまり、
津軽地方に見られる磐座信仰は岩木山信仰
になるとすれば、
“岩”を祀る事で“岩木山信仰”が表せられるなら
“岩”を祀る事は“巌鬼山信仰”を表す事にもなるといえるから
“岩”を祀る事は“鬼”を祀る事にもなっている
という考え方もできないだろうか
巌鬼山の入り口と言っても過言ではない赤倉の中に大石神社がある事。
そして
大石神社の後ろには岩があり
更に後ろには龍神が住まうという渓流があるという事。
岩木山の神さまシリーズでの…
山神様=鬼=龍
巌鬼山=鬼沢=赤倉
巌鬼山=赤倉山→赤倉大神・赤倉大権現
この辺りが頭をグルグルしてきます。
…ま、
当ブログオーナーの只の妄想ですよ。
ではここで、
本殿の更に更に更に後ろの…
初詣の時は全くよく判らなかった渓流も見てみましょう。
コレコレ。
この後ろです。
この後ろです。
どうですか?
龍神さまは見えましたか?←(笑)
あとは境内に…
龍神さまは見えましたか?←(笑)
あとは境内に…
こんな感じにズラーっと
祠があるのですが 。
しかし、
赤倉はこれで終わりではなかったのです…。
祠があるのですが 。
しかし、
赤倉はこれで終わりではなかったのです…。
…つづく!
読んで下さった方に感謝を込めて。
スミマセン~
1回で終わらなかった。
久々に続きます~。
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