東北探訪!五所川原立佞武多を見てきました~

先日のねぷた記事内でもちょっと出てきました…

五所川原の立佞武多(たちねぷた)

やるやると言いつつも引っ張っていて
立佞武多の運行期間も終了してしまいましたが
今日こそはご紹介していきたいと思います~。

まずはコチラ!↓
『陰陽 梵珠北斗星』
齋藤忠大 さん作

えと…
とりあえず、
この大きさが伝わりますかしら?
ん~~~…

あ、コノ写真なんてどうだろう?↓
↑コレは…
今となっては一体何を撮ろうとしたんだか、サッパリな1枚ですが(笑)
周りの建物と比較して頂ける1枚ではあるかな?と。

大体一般的建物の4~5階分の高さがあるかなぁ。
なので近くから撮ろうとするとこのように…

詰まりますっ!(笑)

え~…
それはさておき。
五所川原のねぷたは、
明治時代の頃に一番高くなっていた様です。
しかし、電線の普及と共に背の低いねぷたになっていったとか。

時は流れて1996年になって
有志市民の皆さまが高さ22mの巨大ねぷたを復元し
“立佞武多”と改めて命名し
1998年に祭りとして役90年ぶりに復活させたのだそう。
ちなみに後ろ姿。
兎がいます!

コチラの作品は
五所川原にある梵珠山という山に、法乗寺というお寺さんがあるそうで
それを建立したのがアノ!陰陽師の安倍晴明だという伝説が残っているのだとか。
しかもその山にある神社仏閣跡等が
北斗七星の配列で“梵珠北斗星”
といわれているとかで作られたのだそう。

う~ん、
さすがに平安時代に長距離の移動が簡単に出来たというのは
私的には微妙に思う処ですが…
(晴明ならできたのか?)
ロマンは必要だよネっ!
(どんなコメントだ!笑)
ハイ、次~
『鹿嶋大明神と地震鯰』
福士裕朗 さん作

こちらは復興祈願で作られたそうです。
はい、詰まってます~(笑)
でも、コチラは詰まった方がカッコイイかな。

ハイ、ココからはちょっと資料不足で
制作者や作タイトルがわかりませんが、
とにかく背の高かったものを中心にお送りしてみます~。
前~。
後ろ姿~。
コレ、
太鼓の上にねぷたーっ?!
と、思うぢゃないですか。
ところがどっこい…
全貌は実はコウっっっ!!
2台の大太鼓の上にねぷたーーーっっっ!!!!



読んで下さった方に感謝を込めて。


一番最初の晴明のねぷたの台座の部分。

いや~
五所川原立佞武多は初めて見ましたが
やっぱり背の高いものの迫力がハンパなかったです。

あと…
弘前ねぷたの時もそうだったのですが…
こういう、写真を大量に使う記事の時に必ずと言っていい確立で…
アメーバの画像フォルダへの写真アップ機能が全然使えなくなって…

何かに邪魔されている感を物凄く感じました…

コレ、呪いデショーーーーーっっっ!!←(笑)



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