只今放送中のNHKの大河ドラマ『八重の桜』にて
2月3日放送「松陰の遺言」では
小栗旬さん演じる吉田松陰が
至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり
と叫びながらその命を散らしたのは記憶に新しいですが
今回の青森紹介小話?(笑)は
そんな松陰が若い頃に宮部鼎蔵と共に津軽に来ていた!
という話です。
え?なら放送直後にやれ?
2月頭も忙しかったのです~(ToT)
事の始まりは松蔭が江戸で留学中
ロシアの船が今の津軽海峡を通る事を知り
嘉永4年(1851)の12月、22歳の時に通行手形を持たずに北へ旅立った…
つまり、脱藩しています。
…というか、
22歳の若さで国防について憂いていて
江戸時代でも今より全然道は整備されてない上に
交通手段は徒歩しかなくて
しかも脱藩!
それでも実際見に行くなんて…
物凄いですよね。
津軽藩に入ったのが翌年3月初め。
更に北上し、小泊(現・中泊町)から算用師峠を越えて三厩(現・外ヶ浜町)の海岸に出たそうですが
津軽藩は旅人がこの辺りを通ることを禁じていた為に道はなく
正に山の中の道なき道だったみたいです。
その道は現在ではハイキングコースとして整備され
“みちのく松陰道”
と云われます。
地図的にこんな感じ↓
2月3日放送「松陰の遺言」では
小栗旬さん演じる吉田松陰が
至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり
と叫びながらその命を散らしたのは記憶に新しいですが
今回の青森紹介小話?(笑)は
そんな松陰が若い頃に宮部鼎蔵と共に津軽に来ていた!
という話です。
え?なら放送直後にやれ?
2月頭も忙しかったのです~(ToT)
事の始まりは松蔭が江戸で留学中
ロシアの船が今の津軽海峡を通る事を知り
嘉永4年(1851)の12月、22歳の時に通行手形を持たずに北へ旅立った…
つまり、脱藩しています。
…というか、
22歳の若さで国防について憂いていて
江戸時代でも今より全然道は整備されてない上に
交通手段は徒歩しかなくて
しかも脱藩!
それでも実際見に行くなんて…
物凄いですよね。
津軽藩に入ったのが翌年3月初め。
更に北上し、小泊(現・中泊町)から算用師峠を越えて三厩(現・外ヶ浜町)の海岸に出たそうですが
津軽藩は旅人がこの辺りを通ることを禁じていた為に道はなく
正に山の中の道なき道だったみたいです。
その道は現在ではハイキングコースとして整備され
“みちのく松陰道”
と云われます。
地図的にこんな感じ↓
それで去年、龍飛崎へ行く途中で
このみちのく松蔭道に遭遇したのですよ!
龍飛へ行く途中にあるコチラの…
このみちのく松蔭道に遭遇したのですよ!
龍飛へ行く途中にあるコチラの…
七ツ滝
の先にあります。
でも車で通って父からの説明を受けただけなのですけど…
ただ!父曰く…
上記の七ツ滝は道なき横道(笑)があり、実は登れまして…
の先にあります。
でも車で通って父からの説明を受けただけなのですけど…
ただ!父曰く…
上記の七ツ滝は道なき横道(笑)があり、実は登れまして…
コレは登った処から撮した七ツ滝の上部。
登った先にはこんな洞窟があるのです…
登った先にはこんな洞窟があるのです…
山の洞窟なのに水があり、穴の向こうが見えます。
こういう洞窟もまた、松蔭が通ったかもしれないよね
…という、もしも話でした(笑)
読んで下さった方に感謝を込めて。
こういう洞窟もまた、松蔭が通ったかもしれないよね
…という、もしも話でした(笑)
読んで下さった方に感謝を込めて。
※昔々のケータイ電話カメラ写真を引き延ばした為ボケ気味でスミマセン
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