『遇有性幸福論。』
これは江原啓之氏、茂木健一郎氏による対談形式の
“エンジン01”という、日本文化を深め広める事を目的としたボランティア集団のシンポジウムの内容を集録した本で。
私的に…
江原さんは、某“anan”に登場された頃から著書を読んでたし
茂木さんは、公共放送局の某“プロフェッショナル”で司会をされた頃から結構著書も読んだので…
私的ツボで即買いでした。
最近何となく思い出して読んだら
正に最近考えていた事を纏めた様な感じ…
これは江原啓之氏、茂木健一郎氏による対談形式の
“エンジン01”という、日本文化を深め広める事を目的としたボランティア集団のシンポジウムの内容を集録した本で。
私的に…
江原さんは、某“anan”に登場された頃から著書を読んでたし
茂木さんは、公共放送局の某“プロフェッショナル”で司会をされた頃から結構著書も読んだので…
私的ツボで即買いでした。
最近何となく思い出して読んだら
正に最近考えていた事を纏めた様な感じ…
(イヤ、回り回って戻ったのか?)
内容を私的解釈でザックリ説明すると・・・
人が各々違う様に
皆が皆、
目に見える形で同じ幸福になるハズがなく
各々の人生の中に各々の幸福があるハズで
各々違うけど、
人の本質は皆同じである様に
その幸福の質も皆同じ物であると言える。
例えば、
現代の経済社会の中での物質的価値観で成功している喜び
過去の狩猟社会の中での獲物が捕獲できて食事にありつける喜び
…この二者の喜びに差はなく、
感情という性質の喜びという極で同一ある。
つまり、
自分という存在の有り方を今生的に受け入れて
それを活かしていく覚悟をしていれば
前述二者の喜びは
感情カテゴリの中の同じ極なので、
喜びの感情が発生するまでの過程にある…
描く理想と表れた現実の間の誤差
…で現前する出来事の中には
例えば、
経済社会の中で獲物を狩って喜びを得る事もあるかもしれないし
狩猟社会の中で物質的成功を得る事もあるかもしれない
要するに、
今から先に何が起こるか判らない
その判らないを楽しめる事が喜びなのである。
・・・という感じ
かつて私は、
だからってそのままの自分が凄い悲惨な場合
ソレを受け入れたらソノ悲惨が益々やってくるのでは?と思ったけど
そのままの自分やそのままの感情
つまり自己受容が出来ていれば
自然と自分の幸せも判り
何が起こるか判らないから想像力を使って楽しめる
だから後ろ向きでも何でもそのままの自分を受け入れる事が出発点で
本質的に安心出来るかが大事
…だったんだなと今更腑に落ちた。
※2017年9月29日追記※
更に何が起こるか解らない部分に楽観的でいられれば
それが “希望” といえるのではないかと思った
読んで下さった方に感謝を込めて。
ストック光写真(笑)
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