岩木山の神さま各連投記事

岩木山の神さまの始まり

岩木山の神さまの始まりの一覧。東北探訪!@番外編~岩木山の神さま(1) - ◎始めに◎これから書く事は、単なる私の想像の域を出ないと思うのでその旨どうぞ良しなにお願い致します。皆さまのお家に神棚はありますか。神棚にお祀りする神様も地域によって違ったりするのかな?と最近思った、我が母方の実家のお話です。私の母方は昔から津軽平野の何処からでも見渡せる岩木山の麓に居を構えていた事、祖父が山に入る人だった事で分家の我が家は本家の方から頂いた?、山神様をお祀りしていたそうで昔からお正月には神棚の下に男神の山神様と、女神のN様の掛軸を飾ってました。ところが、実家を建替える際に神棚も新しい物にした時…お祓いに来て頂いた、岩木山神社の神主様が古い神棚と中の神様のお札も一緒に持って帰って下さった事に端を発します。そんな訳で新しい神棚には岩木山神社の“祈祷札”が入っていたのですが…祖母が、祈祷札は神さまの御霊とは違うのではないか?と申しまして。私もそんな話を小耳に挟んだ事があったので…ぢゃあ、山神様の御霊札をゲットしよう!という訳で、早速岩木山神社に行きました。しかし…神社の方にお聞きしても、岩木山神社で出してるのは“祈祷札”のみらしく…そこで初めて…あれ?岩木山神社って、山神様ぢゃないんかい?…と、疑問に思うマヌケぶりで調べると…顕国魂神多都比姫神宇賀能売神大山祇神etc(私的に坂上田村麻呂伝説は微妙なので省略)ウツクシ~は大国主ですね…つづく!読んで下さった方に感謝を込めて。

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岩木山の神さまと“トリ”について

岩木山の神さまと“トリ”についての一覧。東北探訪!岩木山の神さまと一代様とトリ~前説編(2) - 昨日の記事続きです~。マイ父上レーダーの導き←(笑)により行ってみた一代様の酉を祀る碇ヶ関の古懸不動尊で次々に見つかる赤倉との繋がりを示しているっぽいもの。そこから一代様は元々は赤倉≒岩木山の神さま信仰があった土地等の昔々から霊的波動(?)の強かったっぽい処に置かれたのではないか?という事の仮説をたてましたが…帰り道にコチラの↓『一代様マトメ記事』でもご紹介しました…大鰐には未・申を祀る神社があるので新年だし通り道だしという事でお詣りして行こうという事になり一路大鰐の大日様へ。そしたら、到着して駐車場に車を入れようとしたちょうどその時駐車場が満車になるという事態が発生。あーコレはお詣りするなって事かね?なんて冗談を言いつつも無理せずその日は帰路へ着いたのでした。それからその日の夜のコト。マイ父上:「青森といえば青森市のウトウ神社でしょ明日はウトウ神社へ行ってみようか」…とか、テレビに映っていたウトウ神社を見て言い出しまして。ワタクシメは不勉強でマイ父上が言い出すまで存じ上げなかったウトウ神社ですが青森の総鎮守になっている神社なのだとか。え~…ちなみに

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岩木山の神さまの七変化

岩木山の神さまの七変化の一覧。岩木山と大黒と寿と、、、、(2) - 昨日までの、実は去年までに記事にしたかったシリーズがようやく一区切りし今回は今年のお正月のお話に戻りまして、岩木山の神さまシリーズの新連投を開始しておりましたけれども前回記事では、、、、岩木山神社の境内、三の鳥居前に座す出雲神社には狛犬的ポジションに大黒さまと何故か恵比寿さまがいらっしゃってよくよく考えてみたら当ブログオーナー宅の元々岩木山の山神さまの御神璽があった神棚に大黒さまと恵比寿さまの置物がありなんだかんだで昔の知恵者が元々の形では遺せないので他の形=今出ているのは大黒さま&恵比寿さまとして祀っていたのかも?といった具合でしたけどもそもそも昨年秋以降の岩木山の神さまシリーズで岩木山神社に明治以前に祀られていた神さま名は ↓ 国常立命 (阿弥陀如来) / 多都比姫命 (十一面観音) / 大己貴命 (薬師如来)この三柱と知るに至り現代に伝わる岩木山に纏わる言い伝え系は後付けだよなーとか思っていた最たるものが田光沼の国安珠の話とか安寿と厨子王とか田光沼の国安珠の話は確か白水社から1980年代に刊行された『日本の神々』に記載されており昔々その昔に津軽の地に追放された 大国主がまたそこで国造りをしていたら開墾した田の中から白く 光る?沼を田光沼とし更にその沼から女児が珠を発見、ソレを大国主に献上し珠 → 国安珠女児 → 国安珠姫として大国主は国安珠姫との間に一名洲東王をもうけたコレは恐らく『ホツマツタエ』がベースと思われますまぁ、当ブログオーナーもホツマツタエは参考までに読みはしますがアクマでも参考なのですよね多分、ホツマツタエも真実とある程度そうでない部分が混在しているのではないかと考えますけれどもまぁソレは今は置いておいてホツマツタエは偽書なんて云われておりますが(時の政権に負けた人が書いたから、とかですね)日本の神事を執り行う家にこっそり伝えられていたとかいないとかで実はある程度昔から存在していたようでさて、東北地方で偽書といえば有名なのが『東日流外三郡誌』ですがコレも恐らくホツマツタエがベースなのでしょうな〜そしてコチラも白黒混在でしょうな〜とココで、先程から “安” とか “東” とかの漢字をやたら太文字表記しておりますがいえソレは、田光沼の話とか東日流外三郡誌の重要部分に “安” と “東

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岩木山の神さまからの祝福

岩木山の神さまからの祝福の一覧。岩木山の神さまのギフト(2) - 前回から続いております〜前回は、、、、鬼神社の独特な参道はU字なのではなく左回りなのではと思い至り左回りに関する色々な事を検証してみて鬼神社は一の鳥居から鳥居を順番にくぐりながら左回りに回って拝殿で祈る事によって参拝する方々の気を入れ換え願い事等に集中して=天と対話しやすいように=叶いやすいように作られたのではという具合でしたけども考えてみれば、一の鳥居から拝殿・本殿までは左回りですけども拝殿・本殿から参道通りに一の鳥居まで戻れば帰りは右回りをする事になるコレは拝殿・本殿に参拝して祈った状態を保つような効果が期待出来るのでしょうかそれで突然ですが、ラーメン屋さんで昔によく見られたラーメンどんぶりの柄といえば、、、、四角ばったグルグルの右回りと左回りの円が繋がった文様がどんぶりの縁にビシーっと描き並べられているという具合に思い出して頂けるとありがたいのですけども、その文様は中国では古くから雷紋というそうで古代中国の方々は稲妻に “天の意思” とか “天のエネルギー” とかを感じたそうで雷紋を付けると “その付けた物の内部を邪霊から守る” という意味もあるのだとかそれで、右回りの円と左回りの円が一対となる事で次のエネルギーを発生させるという意味があるらしくこれを陰陽に言い換えると、陰と陽が一対となると次のエネルギーを発生させるおや、当ブログの岩木山の神さまシリーズのどこかで見た内容です←(笑)※この辺ですね ↓ 『岩木山と八甲田と津軽からみえるもの』この辺で予想した事がそんなに外れていなかったみたいな?もっといいますとこの雷紋のそもそもの元のデザインでは?といわれていたりするのが饕餮文なのですが “饕餮(とうてつ)” というのが中国の神話に出てくる怪物で身体が牛か羊、曲がった角、虎の牙、人の顔を持つとされ、、、、あれ?何かのイメージと被るような、、、、あ、バアルかなんだかまたぐるっと回ってしまった感がございますけどもとにかく今回に於いては、お行儀よく鬼神社を参拝する事で良い事が起こりやすいみたいな具合でしょうかでは何故、春日神社が中心にあって “雷” が重要なのか?その辺りを考えてみたく今回まずは、以前より鬼沢の方々から聞き及んでいたお話をさせて頂きたくそれが、、、、鬼神社は元々岩木山神社やその元宮の巌鬼

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岩木山の神さまと為信が弘前にかけた魔法

岩木山の神さまと為信が弘前にかけた魔法の一覧。岩木山の神さまと為信公(5) - 続いている記事です前回は、、、、弘前藩 初代藩主 津軽為信は岩木山と十和田湖が岩木山の神さま関連と判っていて更にその陰陽関係と三神の原理を使い弘前城を作ったのではという事は、そんな風な作りの中心になる本丸はパワースポットと言って過言ではないという具合でしたけどもなんといいますかもう、弘前公園に来たら入場料を支払ってでも本丸に昇ればよりお得かもしれないという事になりましたね←本丸入場料はなるべく払わずに弘前公園を紹介してた(笑)ですが厳密に言えば “次のエネルギーの発生” ですので次へ進む準備が出来ている人にその人にとって次といえる状態になりやすい場合によっては、人によって、見方によってその “次” が一見 “良い” といえるものではないのかもですけども『津軽観桜会ツアーズ2017 〜弘前公園クエスト』の記事でも書きましたが自ら行動する人にのみ感動出来る事は起るという事も伝える弘前公園ですので次へ進む準備の出来ている人は例え何があってもその先へ進めるのでしょういやしかし、まさか為信がこんな仕掛けを仕込んでいたなんてまぁ厳密に言えば、、、、1603年 → 徳川幕府成立為信は外様大名として津軽を本領安堵され沼田面松斎に命じ現弘前公園の地に高岡城の建設を決める1607年 → 京都で為信死去(この時既に長男 信建死去)1609年 → 信建の子を二代目に擁立する内紛が起こるも信枚は幕府の政治顧問的存在 天海大僧正の弟子でもあったからか為信が三男 信枚の家督相続が決定幕府より築城の許可が下りる1610年 → 信枚が築城に着手1611年 → 一応高岡城が完成ちなみにこの年に信枚は家康の養女 満天姫を正室に迎えている※この満天姫の半生も劇的な運命を辿られていて物語映えするのですけども気になった方は各自お調べ下さい←(笑)となりますので、作ったのは二代目の信枚なのですけども青写真を描いたのは為信&沼田面松斎でしょうね今更ですが、実は当ブログオーナーあんまーり為信をよく思ってなかったのですねといいますのも、津軽を平定する過程の戦い方がですねぇ賭博場でスカウトした俗にいうならず者に敵方の婦女子を襲わせ乱暴の限りを尽くさせて婦女子が気になり戦いに専念出来ない敵方の城をアッサリ落とすという記録があったり母が安倍氏の

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