たぶん、微妙な話。

さっき思い付いたコト~。

例えば何かに対して、
ネガティブに思う自分の感情を
そのまんまに認める(愛する)という事は


例えば
対人関係においてネガティブに思ってしまう人の
世間一般から見たら物凄い酷いと思われる状態とかでも…
結果的に
そのままに認めてしまえている
という事になるのではないだろうか?

だから、
自分のポジティブもネガティブも全ての感情を認めて
(それを謳歌というか、味わい楽しみ尽くしている事で)


自分にも相手にも愛在る状態になるから
自分に在る憎しみ・悲しみ・苦しみ・怒りは相殺されて
実は
そのままの相手の、元々からあった性質(善性)

(こちらサイドから見たらそう見えるというだけかもしれないが)
が延びやすくなるのではないだろうか。
(自分を愛する事に焦点が行くので
対人関係でもネガティブに思う方に焦点が行かなくなるから?)

対応の原理でいうと
「全が一」で「一が全」ならば
「神は人」で「人は神」とも言えて
人各々の中に必ず大元の神がいるようになっているハズなので
本当は自分の思い通りにしようとしなくても
ソレを認めるだけで
ソレは姿・形を現すし
ソレは全(神など)なので
全てが巧く回るようになっている

…ハズではないだろうか。
まぁ、

であるならばそうでない場合もあるともいえる訳ですけども。



読んで下さった方に感謝を込めて。


コレは何でしょう?
宇宙人とか…?
提灯とか…?
何か微妙ですが(笑)
咲ききっているオニユリですね~


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