昨日の記事の続きです!
やっと出会えたイチョウの樹齢千年の樹…
やっと出会えたイチョウの樹齢千年の樹…
実は…
この樹のご近所に…
もう一本“千年の樹”があったのですーっ!
ドびっくりです!!
それはコチラ☆
“関の杉”さんとおっしゃり、
別名を“甕杉”さんといいます。
去年の春・前の携帯で撮影
え?またもや判り辛い?(笑)
では!やはりデータでご紹介!
幹周 8.2m
樹高 30m!!
樹齢 1000年!!!
1955年1月に
青森県指定天然記念物に。
幹周は垂乳根のイチョウに比べてしまうと小さく感じます
…が、
よ~くお考え下さい。
幹周りが8m越えです!!
日本最北の杉の巨木と言っても差し支えないっぽいです。
この場所が1322年の津軽大乱の時、
安東季長の構えた「折曾関」という城郭があった為
“関の杉”というみたいで、
更には、その大乱で戦死した霊を弔う為に植樹されたとも伝えられている為に、
杉自体が神格化され
「神杉」→“甕杉”(訛りの為?)
と、なったという説と
遠くから眺めると水甕の形に見えるという説もあります~。
え?またもや判り辛い?(笑)
では!やはりデータでご紹介!
幹周 8.2m
樹高 30m!!
樹齢 1000年!!!
1955年1月に
青森県指定天然記念物に。
幹周は垂乳根のイチョウに比べてしまうと小さく感じます
…が、
よ~くお考え下さい。
幹周りが8m越えです!!
日本最北の杉の巨木と言っても差し支えないっぽいです。
この場所が1322年の津軽大乱の時、
安東季長の構えた「折曾関」という城郭があった為
“関の杉”というみたいで、
更には、その大乱で戦死した霊を弔う為に植樹されたとも伝えられている為に、
杉自体が神格化され
「神杉」→“甕杉”(訛りの為?)
と、なったという説と
遠くから眺めると水甕の形に見えるという説もあります~。
写真の左下に見える屋根が
上記の物かもしれない?板碑形式の供養碑の雨避けです。
(屋根と比べれば杉の大きさが伝わります?笑)
また、
江戸時代・寛政9年(1797)にこの地を訪れた民俗学者・菅江真澄が
この杉の事も記しているとか…
そんな訳でコマゴマ綴りましたが(笑)
とにかく“千年の樹”が2本もある深浦町!
凄くない?!(笑)
深浦町は他にも見所満載なので、
またお送りします~!
読んで下さった方に感謝を込めて。
千年の樹を少し行くと“千畳敷海岸”が広がります。
江戸時代の地震により出来た岩浜で
昔、殿様が千畳の畳を敷き酒宴をした事が名前の由来。
江戸時代の地震により出来た岩浜で
昔、殿様が千畳の畳を敷き酒宴をした事が名前の由来。
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