岩木山の神さま


岩木山の神さまと鬼伝説

岩木山の神さまと鬼伝説の一覧。東北探訪!鬼伝説にせまれ~大石神社≒赤倉編(2) - いや~…やっぱりこのシリーズはナッガイですねぇ(笑)読み返してみて…若干…岩を祀る事は鬼信仰…は行き過ぎたかな~と思わなくもないですが←(笑)ちょっと補足をさせて頂きますとコチラの過去記事…『東北探訪!@初詣~番外編(2)』…でちょっくら触れたのですが、大石神社の本殿の後ろに岩がありましたが本殿のすぐ裏は急勾配の断崖絶壁になっておりましてその下へ降りていくと渓流が流れているという感じでして…そんなすぐ後ろが崖の場所にわざわざ岩を置いているのも不自然と思って昨日の記事を書かせて頂いております。いや、場所的な説明をしなかったので補足です~。でも…元々“岩木山”は“巌鬼山”という文字を使って“いわきさん”と読んでいたのでわ?説はちょっと私的推し説です←(笑)…そういえば、「せかっくだから寄ってく?」と、遊びに連れて行ってくれると…そこは龍神関係率が高いという青森でのマイ霊感センサーな…マイ父上が、←説明が長い上に何だか微妙な紹介(笑)“巌鬼山”を“がんきさん”ではなく“いわきさん”と言うのですよね。(その読み方でマイ父上に怒られたのですよ正月にっ!忘れもしないっ!)←(笑)なんでなのだろう?…父上の霊感センサーが父上にそう言わせて私にヒントをくれていたのだろうか?←(笑)では、改めまして昨日の続きです~。昨日は大石神社境内には末社の小さな祠がどわ~っと結構な数が並んでいるという話をした処でしたが。ココでオサライしたいのがコチラの記事↓『東北探訪!@初詣~続・岩木山の神さまシリーズ』このシリーズ内で祖母がぢつはかつて赤倉に来ていて宿泊していたらしいという事が明らかになりましたが、その赤倉の宿泊施設(≒巫女養成施設?)がこの大石神社の先にあるらしく行ってみようという事に気付いたらなっており大石神社脇の砂利道を進んでみたのでした。

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岩木山の神さまと“トリ”について

岩木山の神さまと“トリ”についての一覧。東北探訪!岩木山の神さまと一代様とトリ~初詣マトメで連想ゲーム編 - 昨日の記事の続きです~。マイ父上’s龍神専用探査レーダーの活躍により←(笑)結局、今年の年初めもまんまと…赤倉≒岩木山の神さま系?龍神神社を訪問してしまっていた?!ちなみに、この時の記事↓『3本勝負。』で、書いた名前を伏せた御神籤結果のB社が善知鳥神社だったのでした。それにしてもだ。元旦の初詣初日は何故か一代様の酉に詣でさせられ他の十二支の干支・猿、羊の神社に行こうとしたら駐車場がタイミング良く満杯になって行けず2日目に参拝させて頂いた神社にも鳥の文字…普段勃発する霊障などにはかなり鈍いいもたですが←(笑)さすがにちょっと気になり調べてみたのです。海鳥の一種でチドリ目・ウミスズメ科に分類される鳩よりは大きい中型で灰黒色の“ウトウ”という鳥はいるらしいのですが善知鳥神社HPに記載されていた神社の由来を見ると…古代人がウトウを天の神々の神意を地上に伝え人々を善へ導く聖なるものとしていたらしい事から神使の象徴として善知鳥の字を充てたそうで…  【善】徳の究極、すなわち神の意志に叶うこと 【知】神を祀ることによって、神より与えられるもの【鳥】予知能力をもち、天空の神々と地上の世界を結ぶ神の使わしめ善知鳥神社のHPより抜粋…という意味が込められているのだとか。あ~やっぱり鳥だったのか。つまりコレって…2日続けて“トリ”が関係する神社へ行かされたというコトは“トリ”が強調されているって事よね、たぶん。あと気になっているのが~…初詣に行った三社の御神籤が揃いも揃ってとにかく待てという内容だったから前述した記事で御神籤の結果とかをブログに書いてみていたワケなのですけれども…今考えてみれば…岩木山神社の御神籤の漢文の箇所って呪い生霊死霊呪詛霊障に関わる事は関わるとしてももしかして…どちらかというと対処法が書かれているのだろうか?再掲してみましょう。●(漢文)夫れ物は云々たたるも 各其の根に帰るを静というこれを復命という復命を常という常は復命で復命が静という事で…静は根に帰る事、根に帰る事は静復命は根に帰る事、根に帰る事は復命常は根に帰る事、根に帰る事は常…とも言えるという事になると。実は岩木山神社の御神籤の“運勢”の箇所に書かれてあった事がですね…●運勢親類にまでわざわいをか

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岩木山の神さまに隠されたもの

岩木山の神さまに隠されたものの一覧。東北探訪!白色の気持ち - モノの勢いで?今まで探っていた岩木山の神さまはどーうにも男神としての天照大神というコトになって参りましたけれども。自分で推理しておいて何ですがそれでも、、、自分でも、、、半信半疑で←(笑)というワケで、中国から伝わったとても古い歴史のある “易” でも考えてみたのですね。ちなみに、当ブログオーナーがかじった事があるのは周易でしてザッとご説明致しますと・・・符号をつかって森羅万象の象徴に見立てて意味を見ていくといいますかいやだって、あの歴史のある中国で古代から使われている物の見方といいますか物の考え方ですしそんなこんなで、とりあえず岩木山と白神山地の位置関係を易の八卦の後天図にそのまま当てはめてみますと・・・※易の八卦の後天図とは易の取り決め?で配当された方位図面といいますか・岩木山 → 離・白神山地 → 坎それぞれの意味が・・・・離 → 火/離れる/罠にかかる・坎 → 水/険しい/穴岩木山は活火山隠されている天照大神はあの世の姿とこの世の姿があって時の権力者にハメられている白神山地の瀬織津姫は水神で女神?みたいな?という具合をみて、こんな偶然あるかいな!とか思いつつも決定打となったのは先日まで当ブログで白とか黒とかいっていた長編シリーズで書いていた主犯犯罪組織がやたらと、、、PCやタブレットでご覧の方はお判りになると思います当ブログ表示上の左側サイドバーにある岩木山の神さまシリーズへのリンクをリンク先に飛べないような細工だったりその順番の入れ替えがされていたりその当該記事内の前後記事へのリンクを全て削除されたりといったように完全に不正アクセス禁止法違反で勝手に小細工されてまして更にはといいますか、実は、当方が天照大神の神璽を頂いた時に特に、主犯犯罪組織がそれを嫌がる内容の仄めかしをしてきていたので主犯犯罪組織は天照大神を拝んで欲しくないのだろうと予測していたコトがあってのこのシリーズを書き進める内に左サイドバーの岩木山の神さまシリーズのリンクの異変に気付きこの白色シリーズを書いてる時の嫌がらせ仄めかしもありこの岩木山の神さまシリーズが主犯犯罪組織にとって都合の良くない物つまり、このシリーズが何らかのカタチで真をついており日本人が天照大神をお祀りすると良い理由にもなり得るなぜなら、主犯犯罪組織は思考盗聴な

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岩木山と八甲田と津軽

岩木山と八甲田と津軽の一覧。追記有/東北探訪!十和田神社で比較考量色々 - 突然ではありますけど、『青の祓魔師(エクソシスト)』の17・18巻に掲載されているシュラの過去に纏わる “青森・永久蛇湖編” が去年大晦日に発売されました18巻にて大団円を迎えましてこの舞台は恐らく、実際の青森県の十和田湖だと思うのですけども(以前、作者様の加藤さんがされていたツイートからそう思いました)それでこの永蛇湖編がですね、いーかーに!丁寧に描いて下さっていたコトかっ!という事で、当ブログ的に加藤さんに感謝しつつお疲れ様でしたの気持ちも込めつつ今度加藤さんがおいでになられた際には是非 “ヒメマスの塩焼き” を食して頂くべく青の祓魔師/青森・永久蛇編の舞台となったと思われる十和田湖神社の、当ブログでは夏景色を見てみたいと思います〜冬の十和田神社過去記事はコチラ ↓ ・・・・と、言いたいところではあるのですけども記事を作成したと思うのですけど影も形も見当たりませんアレ?2012年の年頭辺りに絶対に紹介済みでしたよね?当ブログでは記事を勝手に改ざんされたりはしていたのですけどもいよいよ記事の消去までされ始めたようですよそもそも不正アクセスの時点で不法行為ですから絶対に許すまじ!とにもかくにも、例によって当ブログのテキトー地図では十和田神社はだいたいこの辺 ↓

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岩木山の神さまと為信が弘前にかけた魔法

岩木山の神さまと為信が弘前にかけた魔法の一覧。岩木山の神さまと為信公(5) - 続いている記事です前回は、、、、弘前藩 初代藩主 津軽為信は岩木山と十和田湖が岩木山の神さま関連と判っていて更にその陰陽関係と三神の原理を使い弘前城を作ったのではという事は、そんな風な作りの中心になる本丸はパワースポットと言って過言ではないという具合でしたけどもなんといいますかもう、弘前公園に来たら入場料を支払ってでも本丸に昇ればよりお得かもしれないという事になりましたね←本丸入場料はなるべく払わずに弘前公園を紹介してた(笑)ですが厳密に言えば “次のエネルギーの発生” ですので次へ進む準備が出来ている人にその人にとって次といえる状態になりやすい場合によっては、人によって、見方によってその “次” が一見 “良い” といえるものではないのかもですけども『津軽観桜会ツアーズ2017 〜弘前公園クエスト』の記事でも書きましたが自ら行動する人にのみ感動出来る事は起るという事も伝える弘前公園ですので次へ進む準備の出来ている人は例え何があってもその先へ進めるのでしょういやしかし、まさか為信がこんな仕掛けを仕込んでいたなんてまぁ厳密に言えば、、、、1603年 → 徳川幕府成立為信は外様大名として津軽を本領安堵され沼田面松斎に命じ現弘前公園の地に高岡城の建設を決める1607年 → 京都で為信死去(この時既に長男 信建死去)1609年 → 信建の子を二代目に擁立する内紛が起こるも信枚は幕府の政治顧問的存在 天海大僧正の弟子でもあったからか為信が三男 信枚の家督相続が決定幕府より築城の許可が下りる1610年 → 信枚が築城に着手1611年 → 一応高岡城が完成ちなみにこの年に信枚は家康の養女 満天姫を正室に迎えている※この満天姫の半生も劇的な運命を辿られていて物語映えするのですけども気になった方は各自お調べ下さい←(笑)となりますので、作ったのは二代目の信枚なのですけども青写真を描いたのは為信&沼田面松斎でしょうね今更ですが、実は当ブログオーナーあんまーり為信をよく思ってなかったのですねといいますのも、津軽を平定する過程の戦い方がですねぇ賭博場でスカウトした俗にいうならず者に敵方の婦女子を襲わせ乱暴の限りを尽くさせて婦女子が気になり戦いに専念出来ない敵方の城をアッサリ落とすという記録があったり母が安倍氏の

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