イモタ戦記~またブロックとかいってます(笑)

頭では、やれば良いと判っている事を
実際に出来ていない時というのは
感情的なブロックが働いているのかもしれない…
と気付きました。

※2017年10月11日追記※

この容認のスルーという方法が当方的に解決方法として間違っていたから

出来なかったというだけの話にすぎません

この頃どんだけほど感情のブロックをほどいてたのか(笑)

その後全く解決しませんでしたのでこの方法は間違っていたといえます

この容認のスルーという方法は当時コメント欄でやり取りしていた人のアドバイスだったのですが

この人が本当の意味で当方の事を判っている事はなく

結果的に当方の事を判ろうとしませんでしたから

簡単に他人の言に左右されることがいかに恐ろしい事か

結局この人は当方に影響力を示したかっただけなのでしょうよ

エネルギーバンパイアだったのでしょうね



良い例が、階下近隣が憑依されている騒ぎで綴らせて頂いているイモタ戦記であります。


私も容認のスルーを出来てる時と出来ていない時の波があって

過去記事で色々書かせて頂いたお陰さまで
“気持ち悪い”は克服したのですが

出来ない時の自分の気持ちを
何故出来ないのか?
から、また深く探っていった処…

“怒り”があるのです。

いや、表明的にみたらそりゃ怒って当然な状況ではあるんですが
もっと深い。表明的ではない腹の底からという感じの…
この怒りの出所は何だろう?
と思っていたら

私はちゃんと一人で色々しているのに、
私が後を付け回されるのは不公平!理不尽!

と、思っている自分が居ました。
これは何かと考えて思い当たったのは…
既に忘れきっていた幼少期に端を発する事だと思いました。

つまり…
私の母親は子供を育てるよりも、本当は自分の事をしたかった人だと
子供の時分の目からみても見え見えで、
子供を育てるのは生んでしまったから、義務で仕方なく
と思ってるのが判っていました。

生まれたてとか、初めの内だけなんですよ
心から構ってくれたのは。
(それでも構って貰えた私はまだマシでした)

物心ついた頃には邪険に扱われていて
“邪魔だから母親の後をついて歩いてはいけない”
と言われていたのです。
それで後をついて歩かない様にして迷子になったりとかしてたんですよね…


だから、自分が後をつけられる事に怒りが湧いていたのですねぇ

※上記同日追記※

いやあ、というか

こおんなこと繰り返し執拗にされたら普通ブチ切れて当然でしょう


…という様に
目の前に起こる不愉快と思う事は
自分の感情のしこりに気づくチャンスである場合もあると。


気付いてしまえば
あぁそうなんだ
と自分で思ってあげれば良い事で

私はこれから、ますます階下近隣をスルー出来る事でしょう!

※追記※

いやだから、

スルーという方法が間違ってるんだってば(笑)



読んで下さった方に感謝を込めて。


夕焼けと光写真◎その15
前回のピンク色光からピンク色の弧が出現~